2010年05月02日
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高井戸の語源に関して考える・とそこに……

Written By: 川俣 晶連絡先

 高井戸の語源は諸説ありますが、「高井戸」はかつて「高井土」という表記と混在していたことを考えると、井戸説は今ひとつ採用しにくい感じです。

 つまり「高」+「井戸」ではなく、「高井」+「戸」です。しかし、「戸」が揺れているのに対して「高井」は揺れていません。重要な「高井」が存在するはずだ……と漠然とは思っていましたが。

 桜上水Confidentialさんの「井の頭の「井」、高井戸の「井」、井伊氏の「井」 」より

本堂奥へ入っていくとば口に掲げられた木札は明治時代の寄進者。

伯爵井伊などのお名前が見える中、「高井」という札が何枚も見える。

上の方、ということは寄進額の多い方々である。

世田谷吉良氏ご縁戚と伝わる下高井戸の「高井」とは井伊さんのご関係者でもあろう!

 そうか!

 これだ!

 「高井」さんがいて、「高井」さんが住んだ土地が「高井土」。「高井」さんの住処の戸口が「高井戸」。両者は同じような意味で使用されて混淆し、最終的に地名として「高井戸」だけが残ったのかもしれません。

実は名古屋といえば §

 ここで出てくる地名は「愛知県西尾市」。

 実は、甲州街道を西へ西へと地図で辿って、気がつくと愛知県だったことがあります。もちろん、甲州街道がそこまで続いているという意味ではありませんが。

 つまり、もともと愛知県と縁が深かったのだとも考えられます。

 と、そこで気づきました。

 高井戸の地名が成立した時期は、明らかに江戸時代よりも以前です。

 つまり、名古屋方面から関東進出は既に行われており、比較的遅れてやってきたのが家康ということになります。

 更に、江戸城の上流部に、同じ名古屋方面から進出した高井氏がいるというのも偶然ではないのかも。

 もっと言えば、その高井氏の土地を甲州街道最初の宿場町として設定したことも。

 甲州街道が滝坂道と分かれて北よりのルートを取るのも、高井さんの土地を経由するためだったのかも。

 まあすべてはその場の思いつきで根拠のある話ではありませんが。

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